ブログと変容と
日本語でこうやって改めて文章を書くのはもうずいぶん昔のようなことに感じます。
先ほど、のりこさんのWS2に対しての感想を送ったのですがその時の文章が素晴らしく(私の)心に響くものだったので送る前にコピーしてここに乗せればよかった、と送った後に思ったのですが、送った後に気がつくということはその感想はそのライブリーなままのりこさんの元へ届けて後は忘れてしまったらいいということなのでしょう。
もちろんその感想は、私自身に響くものなので、もし他の人が読んだら拙いとか、感情むき出しの文で意味がわからない、とかなるかもしれないので逆にそれでよかったのかもしれません。
でも実はこのWSはもうずいぶん前、2週間以上も前のことだったんですね、なのに今更感爽快な、って感じなのですが今回私の気づきは遅いものだったので少しのタイムラグがあります。
正直文章書くの面倒くさいな〜と思いながら座ってみたのですが、心にたくさん秘めているものがあればあるほど手は進むのですねもう勝手に、言いたいことがどんどん出てきました。
その辺はもう脈絡もなく、昔の日記みたいに、今日はああだった、私はこう感じた、的なものですが、その感じる気持ちが私は大事だと思っています。
前のブログでも気がつくことが変容の最初のステップ、みたいな感じなことを書いたと思いますが本当に感じないと、変わることができないのです。
あれっと思う瞬間が命取りで、いつもなら大体の人が見逃してしまいがちです、まぁいいかとか、まぁそんなこともあるよなとか。
でもそこをあえてもっと感じる、どんな感情でもです。
例えば私昔のブログにも書いたかもしれませんがマスクしない人、ソーシャルディスタンス守らない人、ムカつく〜〜!!!みたいな、仙人のような気持ちになって、自分に問うのです。
なぜお前さんはそんなにムカついておるのじゃ、みたいなw
そして深掘りしていくと、自分はマナーを守っているのに他の人が守ってないから、イライラする。
なのですね、でまた仙人に戻って聞くのじゃ、なぜそう思うのじゃと
すると、自分だけマナーを守ってなんだか損している気がする、という損得勘定につながってくるのですね〜
ここまでくると、もう自分はヒーラーですね、自分で自分を治してあげる。
するとご褒美に、仙人から、ようきがついたのう、褒美じゃ、ほれっという感じでもうそのルールを守らない人に対してイライラしなくなるのですね、結局は自分の中の問題だというか、うちなることに原因があった、と気がつくので。
よく問題の根源は自分だとか、うちなる自分にあると聞きますが、本当にそうなんです。
問題を作っているのは自分とかいうのですが、本当にそうで、自分の損した、という気持ちや本当は自分自身も自由に振る舞いたいのにルールでがんじがらめで嫌だ〜って思っているその気持ちの自己投影だったりします。
こんなことが、もうすらすらわかってくるようになるなんて、本当にNY出会ってキネシオロジストのレインボウ桜さん、おさむさん、のりこさんだど感謝の祭りです。
ちょっと気分がハイなので変な文章だったらすみません、でも気持ちというかこの感覚をみなさんにも受け取ってもらえると嬉しいです、それでは